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風景写真家・松井章のブログ

ペルー旅行の魅力を解説③:“天空の湖”チチカカ湖

世界最高所のチチカカ湖とは

チチカカ湖は、アンデス高原で標高3800mに位置します。「汽船などが航行できる湖として世界最高所」で、面積は兵庫県とほぼ同じ大きさの巨大な湖です。西半分はペルーで、東半分はボリビアの領土です。

今も生活で使われる古代遺跡の段々畑、海のように広く青い湖、そして宇宙に近く黒いほどの青空の下でゴンゴンと雲が流されていく景色は、チチカカ湖を象徴する景色と言えるでしょう。

それは下界の私たちが暮らす世界とは、全く異なる世界の景色です。世界は実に多様で、私たちが暮らす世界はほんの片隅に過ぎないことを、五感で実感することは、自らの世界観を豊かにするためにとても大切なことだと思います。
この巨大なチチカカ湖で、東半分を領有するボリビアは海を持たないことから、この湖に海軍を置いています。
海軍があるほどに、この湖は巨大なのです。

太古の海の名残?チチカカ湖の歴史


チチカカ湖の歴史を辿ると、そこには今の南米大陸を形成するアンデス山脈の造山運動に行き着きます。
南米大陸の西海岸線では、地震が頻発することで有名です。エクアドル、ペルー、チリと海岸線に近くアンデス山脈がそそり立つ地域では、地下で2つのプレートが激しく衝突していることによります。
このプレートの衝突により、アンデス山脈は標高6000m以上も隆起して、その東には4000~5000mの広大なアンデス高原(アルチプラーノ)を形成しました。

かつて浅い海が広がっていましたがアンデス山脈の隆起とともに、今の南米大陸の原型が出来上がったのです。アンデス山脈では、至る所で、貝の化石を見ることができますが、それはかつて海の底にあったことを意味しています。

そして、この海の名残が、チチカカ湖なのです。

ウユニ塩湖やアタカマ塩湖、そしてアマゾンもまた、太古の海の名残なのです。アマゾン川にイルカが暮らす理由は、その証拠と言えるでしょう。

太古の海が取り残されたチチカカ湖は、古代湖と言われています。実際にチチカカ湖に流入・流出する河川はとても少なく、その起源を「海」にあるとしなければ説明がつかないのです。

古代文明の揺り籠・チチカカ湖


インカ文明と聞けば、南米を代表する古代文明の代名詞ですが、その歴史は意外に新しく10~16世紀に栄えた文明です。インカ文明よりも前に、南米大陸では数々の文明が栄えました。それらの文明の総称として「プレ・インカ文明(先インカ文明)」と呼びます。

人類が南米大陸に到達したのは、紀元前1万年ほどと考えられています。チチカカ湖周辺でも、紀元前1000年頃から文化の証拠が残り、紀元前200年頃からティワナク文明が始まりました。
チチカカ湖の東岸から約20キロほどの草原に、ティワナク遺跡があります。この遺跡はティワナク文明の最盛期に建てられたと考えられています。このティアワナク遺跡の建造物は精緻な石組みの建造物でも有名で、後のインカ文明へと継承する高度な石材加工技術を有していました。

ティワナクから車で40分ほど内陸に走らせれば、ボリビアの首都ラパスです。
ボリビアの多数派を占めるアイマラ族にとって、ティワナク遺跡は祖先の大文明として、アイデンティティの象徴なのです。

インカ文明の発祥の地「太陽の島」


インカ文明もまた、その発祥をチチカカ湖の「太陽の島」としました。太陽の島は、チチカカ湖の東部でボリビア側にあります。

インカ帝国はチチカカ湖から北西に約300キロほど内陸のクスコで、ケチュア族を中心に勃興しました。

チチカカ湖の東側(ボリビア)はアイマラ族の土地で、西側(ペルー)はケチュア族の土地です。インカ帝国がボリビアのアイマラ族を併合する過程で、アイアマラ族側の土地である「太陽の島」を二民族の統合のシンボルとして敢えてインカ発祥の地に選んだのかもしれません。太陽の島は、古くから聖地巡礼の対象とされていたからです。

その後、16世紀にスペイン人は「太陽の島」の対岸コパカバーナ村に、巨大な教会を築き、その後はキリスト教の巡礼地として栄えました。

昔ながらの生活を今も続ける素朴な島です。徒歩3時間ほどで縦断できる島ですが、急こう配の島には車道はなく、徒歩か馬が村人の交通手段です。

島はくまなく段々畑で覆われています。畑では、キヌア、ジャガイモ、トウモロコシなどが栽培されています。段々畑の石垣もまた古代から連綿と受け継がれたものです。その歴史を辿ればインカ以前にたどり着くかもしれません。

古代文明と現代が自然に混じり合っているのが、太陽の島なのです。

段々畑の丘から望む、海のように広いチチカカ湖を、そして対岸にアンデス山脈の支脈であるレアル山群を望む絶景は、太陽の島ならではと言えるでしょう。

今では、段々畑の段にいくつかのホテルが建設されているので、宿泊がお勧めです。チチカカ湖らしい絶景で、朝日、夕日、星空まで望むことができるからです。

アイマラ族の伝統料理・アプタピ


太陽の島では、アイマラ族の伝統料理アプタピを食べることもできます。インカ時代から伝わる野菜を中心に蒸かしたヘルシーな料理です。

世界無形遺産「刺繍」のタキーレ島&アマンタニ島


チチカカ湖西岸のペルー側では、タキーレ島が有名です。約40キロも沖にあるので、まるで海を旅するようにボートで数時間かけて、この島に行くことになります。

島は約2時間ほどで縦断できる大きさで、古代からケチュア族が暮らしています。彼らの伝統的な刺繍が世界遺産として登録されているのです。
太陽の島と同様に、美しい段々畑に覆われて、車も無い素朴な島で、人々は民族衣装を纏い暮らしています。刺繍の文様や色にはすべて意味が込められていて、まるで刺繍そのものが何らかの力を持っているようです。
この島の民族衣装は特殊です。インカ時代の衣装に、スペイン文化の影響も強く残しているからです。女性の衣装の特徴は、その黒いベールにあります。この黒いベールは、かつて統治していた領主がスペイン・アンダルシア地方の出身であったことに由来するそうです。

隣島のアマンタニ島とともに、標高3800mの絶海の孤島に2000年も人が住んでいることは途方もないことに思えてきます。
それは、ユーラシア大陸の文明とは全く異なる時間軸と文化で成り立つもので、日本人から見れば何もかもが別世界の風景です。

この島には、ホームステイも可能です。
素朴な島で、村人の家に泊まり、同じ食事を摂ることはかけがえいの無い経験です。
私自身も20年以上も前に、この島でホームステイしました。それは今でも忘れられない思い出です。

葦の島・ウロス島


ウロス島は、島そのものが葦で組まれた浮島です。この葦は“トトラ”と呼ばれ、船もまた葦を組んで作るトトラ船を使っています。

葦は10年ほどで劣化してしまうので、その度に新しい葦を積み重ねて、すでに500年以上は経っているでしょう。この島には約2000人ほどの住人が今も暮らしています。
かつて部族間の抗争に負けたある一族が終われて、チチカカ湖にウロス島を築いたのが始まりであるそうです。

豪華鉄道でつなぐ:チチカカ湖⇔クスコ


チチカカ湖西部の都市プーノは、ウロス島やタキーレ島やアマンタニ島、ウロス島の基点となります。
そして、この町は豪華鉄道「アンディアンエクスプローラ号」の中間地点でもあります。
寝台列車で、古都クスコともう一つの古都アレキパの中間地点として3都市を繋ぐ路線は、ペルーのアンデスを周遊するゴールデン・ルートと言えるでしょう。

シリーズ:ペルー旅行の魅力を解説





関連ページ:チチカカ湖

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