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風景写真家・松井章のブログ

パタゴニアの民族史② 牧場(エスタンシア)の開拓民

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パタゴニアを移動すると、道路の両脇に延々と有刺鉄線が張られているのがわかります。これは牧場の境界線です。細かく碁盤の目のように分割譲渡されたパタゴニアの大地はほとんどが私有地となり、有刺鉄線で分割されることになりました。地平線まで続く草原に、やはり延々と続く有刺鉄線の柵は、一見すると大自然であるパタゴニアの草原が、既に人の管理下にある事を意味します。
19世紀末から始まる大規模な開拓民の流入は、主にウェールズ系の移民から始まりました。その後、ヨーロッパ各地から移民が押し寄せます。かくて牧場や村により、同じヨーロッパ系でも民族が全然違うということになりました。マゼラン海峡の畔のある村は、ユーゴスラビア系の村です。村人はスペイン語を話しますが、文化はユーゴスラビアを継承しています。
このように羊毛ラッシュの時代に押し寄せた移民の中でイギリス人が多かったことは、後のフォークランド戦争に繋がることになります。人類の歴史から見ても、その土地に常駐した者が一番強く、時に開拓民は国家の侵略の先兵としてやって来ます。サンフランシスコやコロラドまで及んだメキシコの国土が、アメリカに浸食されていった過程も同じです。
羊毛景気の時代に財を築く牧場も現れました。チリ側のメネンデス家は、その代表的な家族です。広大な牧場を所有して、運営はガウチョに任せて、牧場主はブエノスアイレスに居住するというのが豊かな牧場の経営方法でした。低賃金で働くガウチョと貴族のような牧場主の生活、これがパタゴニアの一つの現実でした。どことなく哀愁を感じさせるガウチョの雰囲気は、そのような現実の中で、羊と厳しい自然を相手に暮らす彼らの生き方から現れるのでしょうか。
一方、ゼロから牧場を切り拓く多くの開拓民も現れます。彼らは、無人の荒野で一人あるいは夫婦で乗り込み、艱難辛苦とともに牧場経営を始めます。個性的な開拓民が現れ、中には詐欺師や革命家、強盗団なども乗り込み、過渡期のパタゴニアならではの賑やかな時代が始まったのです。
<つづく>
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パタゴニアの民族史①

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