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風景写真家・松井章のブログ

パタゴニア開拓史:ピオ11氷河の前進と牧場の水没②

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(続き)
ここで起きた現象をさらに詳しく説明する。西岸の牧場と氷河の間、入り江の幅は、サムシンの資料によれば、彼が牧場建設を決めた時である1925年の初めの時点では、約1キロと測定されていた。そのために、まさか氷河が横断してくるとは思いもしなかったのだ。しかし、1926年の9月中旬ころ、サムシンは、新たな現実を前に恐れと不安にさいなまれることになる。氷河は、毎日確実に前進していたのだ。氷河は驚くべき力に押されて、毎日前進を続けていた。アイレ湾へとつながる入り江の幅は刻一刻と狭まり続け、氷河により閉ざされつつあった。
さらに、この氷河の前進は、川をもせき止めて牧場の谷を水浸しにしてしまった。これ以上の時間はないと判断して、サムシンはすぐに従業員とともに生き残るための準備をした。数隻の小舟にわずかな家具と家畜を積み込み、氷河と岸の間わずか数十メートルの狭く危険な場面を切り抜けて、アイレ湾へと脱出した。こうして努力と苦労の結晶である牧場を放棄することになってしまった。
わずか一年あまりの氷河の前進は、巨大な氷河末端が高さ100mの対岸の岸壁をも飲み込むまで続いた。そのとてつもない重量の氷塊に、豊かな森も覆い尽くされてしまった。牧場の谷は、こうして完璧に孤立してしまったのだ。
サムシンの不幸は、アラカルフ族にとっては恩恵であった。生来の泥棒である彼らは、すでに牧場の建設を知っていて、もちろん大量の動物を所有することも知っていた。飢えを満たす豊富な戦利品を分捕るのをいつも待っていたのだ。
サムシンが牧場を放棄してすぐに、彼らは谷に殺到した。そうして、数週間の間、羊や牛や馬のおかげで、大宴会が毎日行われることになったのだ。
これが、ピオ11氷河での、最初の開拓の終焉であった。
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ピオ11氷河は、チリ・パタゴニアの入り組んだフィヨルド地帯の奥にあります。マゼラン海峡から繋がり、ベルナルド・オヒギンス国立公園に属します。「Andes Patagonicos」の文章と写真によれば、ピオ11氷河の右岸側に位置します。しかし、正確な位置はわかりません。今も氷河の下にあるのか、既に氷河は後退して地上に現れているのか、いつか確認したいものです。
ピオ11氷河の源流は、すぐ東にある「南部パタゴニア大陸氷床」です。この氷床を挟んだ対岸(東岸)には、フィッツロイやセロ・トーレがあります。
南部パタゴニアの天候は、この大陸氷床の東西で気候が大きく異なります。氷床の西側は、より降雨量が多く南極ブナの原生林がフィヨルド地帯に密集しています。そのため氷床の西側には大規模な氷河が、いくつもフィヨルドに流れ込みます。氷床の東側は、パンパと呼ばれる乾燥した草原が太平洋まで広がります。
分厚い本である「Andes Patagonicos」の中で、この話はわずか2ペ-ジほど割かれるだけです。もっと壮大な探検や自然の話に満ちた本なのですが、いつまでも忘れない話は、なぜかピオ11氷河のこの牧場の話です。
壮大な自然(森羅万象)を前に、人は微細なサイズなのですが、どうしても日々の生活でそれを忘れてしまう。ちっぽけな人間の生活が、宇宙全体であるかのように悩ましく存在してしまう。そんな時にこの話は、人とそれを取り巻く森羅万象の関係性を、それとなく囁いてくれているのかもしれません。

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