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「ガウチョ」とは
日本で「ガウチョ」と言えば、七分丈の裾が広いパンツの名前で知られています。
本来のガウチョとは、アルゼンチンやブラジル、ウルグアイの草原で牛を追う牧童(カウボーイ)たちの呼び名です。彼らが着る衣装から着想を得た服に、ガウチョが冠されているのです。
「ボンバーチャス・デ・カンポ」と呼ばれる幅広のズボン、防寒用のポンチョ、銀細工と革のベルト、ハイブーツ、ワイシャツにベストとネッカチーフ、そして、帽子やベレー帽が、ガウチョの伝統的な服装です。腰に着けた「ファコン」という大型のナイフも目立ちます。
アルゼンチンにおいて、ガウチョは単なる牧童という存在に留まらず、かつて国の独立に貢献した英雄的な活躍から、国のシンボルとして慕われています。多くの人が子供のときに乗馬に触れるのが普通であることも、ガウチョの存在が大きく影響しているのでしょう。
大草原パンパと、そこに出現した首都ブエノスアイレス、自然と人工物という対極的な2つの存在が、アルゼンチンの人々の民族性を理解しようとするときに、とても重要な要素になると思っています。
ガウチョの歴史
アルゼンチンから、ウルグアイやブラジル南部には、広大な草原(パンパ)が広がります。
17世紀頃から、この草原でスペイン人と先住民の混血の人々が野生の牛を狩り始めました。先住民のグアラニー語、あるいはマプチェ語で「ガウチョ」と呼ばれる彼らは、ポンチョを羽織り、マテ茶を飲み、ギターを弾き、馬で草原を駆ける、現在のガウチョの原型となります。
彼らは牛の皮を売り生計を立てていました。保存できない肉は、その場で直火で肉を焼いて食べていました。これがアルゼンチン伝統料理「アサード」のルーツです。
19世紀には、ブエノスアイレス周辺のラプラタ地方に大量の移民がヨーロッパから来たことで、牧畜も発展しました。この牧畜で活躍したのが、牛や馬を追うガウチョたちですが、ブエノスアイレスで暮らし始めた都会の人々にとって、彼らは貧しい下層階級の無法者と見ていました。
その彼らがアルゼンチンの表舞台に出るきっかけとなったのが、独立戦争への武力での貢献でした。勇ましく敵陣に切り込む雄姿から英雄として祭り上げられたのです。
誇り高く忠義に厚い存在が「ガウチョ的」として賞賛されるようになります。他方、無口でぶっきらぼうな姿もまた「ガウチョ的」として評価されました。
とはいえ、混血で学も無いガウチョたちは、時の政権により良いように利用されたと言えるでしょう。南部のパタゴニアへの開拓では、先住民族たちの土地を奪うために常にガウチョたちが前線に立たされました。
独立後のアルゼンチンで国土が平定されると、日本の何倍もの面積のある大草原パンパは有刺鉄線で細分化されて私有地化されていきます。大牧場(エスタンシア)の誕生です。ガウチョ達は労働者として雇われることになり、歴史における重要な一つの役目を終えて、アルゼンチンの新しい時代に編入されていきました。
ガウチョ文化とアルゼンチン
アルゼンチン独立は、ヨーロッパという大きな存在への反抗です。その戦いのシンボルがガウチョでした。スペインやイタリアから移住した人々とその子孫(クリオージョ)が多数派である国民は、アルゼンチンという独立国のアイデンティティに、ガウチョを取り込むことで、独自性を求めたのかもしれません。
ガウチョに対する人々の見方も、英雄と見ることもあれば、流浪者として蔑むことさえもありました。アルゼンチン人の心の中でガウチョは両極端に揺れながら、アイデンティティのシンボルとして離れることもない存在です。その曖昧で確固とした存在感は、アルゼンチンの文学でも重要な役目を果たし、「ガウチョ文学」というものも生まれます。
ホセ・エルナンデスの叙事詩「マルティン・フィエロ」に代表されるガウチョ文学により、アルゼンチンにおけるイメージが確立されたと言われます。
現在のガウチョ
19世紀以降、厳密なガウチョは消滅していきましたが、馬や牛を追う牧童たちは、かつてのガウチョへの尊敬も込めて、自らをガウチョと名乗るようになります。
職業として牧場に雇われる彼らは、正確には牛飼いを意味するバケーロ、またはペオンという呼び名が正しいのですが、ガウチョと呼ばれることを好む人々が多いのです。
ブエノスアイレス近郊のサン・アントニオ・デ・アレコは、「ガウチョの里」として有名な町で、現在のガウチョ文化の中心地と言えるでしょう。
「南米のパリ」と形容されるほどにヨーロッパを取り込んだブエノスアイレスで、都市の人々は草原とは切り離された生活の中、ガウチョという存在もある意味で一人歩きしながら、ブエノスアイレス的に美化されて取り込まれました。
今では、ガウチョという単語は、武士や自己犠牲、寛大さの象徴として会話に登場することもあります。ガウチョ的な精神が、アルゼンチン人という民族性に独特で複雑な感性を与えているのかもしれません。
いずれにせよ、アルゼンチンの人々が理想とする国民性は、ガウチョの遺産と言えるのです。