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ラテンアメリカの源流:スペイン連合王国の誕生、そしてカタルーニャ独立運動

>世界史を変えた「1492年」

コロンブスが新大陸を発見した1492年は、スペイン本土でも大変重要な年であった。

イスラム教徒からイベリア半島を奪還する国土復帰運動(レコンキスタ)が、アンダルシア地方のグラナダ陥落とともに完了した年であるからだ。
ナスル朝のボアブディル王がアルハンブラ宮殿を去る時にグラナダを振り返り嘆いた丘は、「溜息の丘」と名付けられた。
アルハンブラ宮殿は無血開城で、グラナダ在住のイスラム教徒の権利も全面的に保護された。

国土復帰運動(レコンキスタ)

この25年前にあたる1467年に、カスティーリャ王国のイサベル女王と、アラゴン王国のフェルナンド王が結婚すること(通称「カトリック両王」)で、スペイン連合王国として一つになり、イベリア半島の奪還に一層力を入れる。

こうして現在のスペインの原型が生まれた。
16世紀前半には、カトリック両王によるスペイン王国は絶頂を迎え、その版図は、ポルトガル以外のイベリア半島に加えて、イタリア南部のナポリ王国、マヨルカ島、サルディニア島、シチリア島、そして新大陸に及んだ。
後にはフィリピンが併合されることになる。

カトリック両王による統治システムは、他のヨーロッパ諸国とは異なり、特定の宮殿を持たない質素な“出張統治”であった。
王は常に移動して現場の問題を解決しながら国をまとめていた。
特にイサベル女王の存在はスペインの歴史においてとても重要なのだ。

スペインの没落と、中南米の富の流出

イサベル女王の没後、静かに内部からスペインは解体されていく。
ドイツやフランドル地方、そしてイギリス、フランスなどと結んだ姻戚関係が元で、スペインの利権はヨーロッパ諸国に流出することになるからだ。
新大陸から流れ込む金銀による莫大な利益が、スペインを素通りして、他のヨーロッパへ流れてしまうシステムだ。

この壮大な富の移動(中南米→スペイン→西欧)は、ヨーロッパ文明が一気に跳躍する契機となる「ルネサンス」を後押した。

カトリック両王の孫に当たる、カール5世(カルロス5世)はフランドル地方で生まれ育ち、スペイン語を話せないほどであったが、スペインの王位継承権を持っていた。このことで、スペインはドイツ・ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国に組み込まれてしまう。皮肉なことに、カール5世のスペイン支配を発端に、ハプスブルグ家は絶頂を迎え、その栄華は大英帝国やフランスのブルボン朝にも繋がっていく。

この“スペインの被植民地化”により、ドイツ・フランス・イギリス・オランダなどのヨーロッパ諸国は大いに繁栄して今日に至る。

スペインの凋落を象徴する事件といえば、ジブラルタルの割譲ではないだろうか。
イサベル女王の遺言の一つに、ジブラルタル海峡の制海権は決して他国に譲るなというものがあったらしい。残念ながらイサベル没後100年ほどでイギリスに割譲することになる。戦略的な重大さは今も変わらず、300年経ってもジブラルタルはスペインの手に戻っていない。
この時代のスペインの衰退を象徴するような出来事なのだ。

カタルーニャ地方の独立問題とは

近年、カタルーニャ地方の独立運動は、日に日に勢いを増している感がある。
この独立運動は、当のカタルーニャの人々からすると、とても当然なことかもしれない。

前述のスペインの歴史を紐解くと、イサベル女王とフェルナンド王が結婚する以前、カタルーニャ地方はアラゴン王国の一部であった。そのアラゴン王国も「連合王国」と称されたように、バルセローナ周辺のカタルーニャ地方は、もともと独立した一王国であったのだ。
カタルーニャ地方の人々にとっては、つい500年ほど前までのカタルーニャ王国にアイデンティティがあるというのは理解できる話だ。石の文化のヨーロッパでは、中世の建物に今も人が住んでいるほどに、すぐそこにある過去だと言える。

ヨーロッパの言語は、「グラデーション」

カタルーニャ地方は、スペインの中でも言語が少し異なる「カタルーニャ語」を公用語とする。
カタルーニャ語は、スペイン語とフランス語の中間のような言語で、地理的にも両国の中間に位置する。実際、カタルーニャ王国を築いた人々は、もともと起源を南フランスに有するらしい。
島国の日本とは異なり、ヨーロッパでは言語も、まるで色調変化するグラデーションのように、スペイン語とフランス語の間にいくつもの方言(または言語)がある。本来、方言と言語の区別はとても曖昧なものだ。そして、方言(または言語)はアイデンティティなのだ。

一つの国で言語がいくつもあるのはヨーロッパで普通のことだが、宗教の違いは大きいのだろう。
キリスト教の国々はヨーロッパで一つにまとまって行き、数百年かけてEUへと発展する。他方、EUは本来的に文化・言語が少しずつ異なる地域の集合体であるのだから、統合を促進する力が強いほどに、中世以前に戻ろうとする反作用もまた強いということなのだろうか。

カタルーニャ地方の独立運動は、その歴史をたどってみれば、とても現実味があることだと理解できる。

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