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風景写真家・松井章のブログ

ボリビア日本人移住地訪問記(6):サンフアン移住地の再訪《加筆版》

目次

2024年12月:サンフアン移住地の再訪


2024年12月、ボリビア東部サンタクルス州にある日本人移住地サンフアンを再び訪れました。前回訪れたのは同年6月の乾季でしたが、今回は雨季のはじまりです。
季節は夏にあたり、稲作の最盛期を迎えているはずです。

前回は見ることができなかった水田の風景を見たいと思っていました。
また、この年の9月に発行された「日本ボリビア友好切手」を、撮影にご協力いただいた皆様にお渡しすることも、今回の目的の一つでした。

サンタクルスにて


まずは日本からサンパウロ経由で、丸一日かけてサンタクルスに到着しました。前回の6月にオキナワ移住地を案内してくれた黒岩幸一さんに再会できました。
ご自身でプロデュースされている日本食レストランに一緒に行き、ラーメンやお寿司、餃子をいただきます。店内にはお客がたくさんいて繁盛しているのがすぐに分かりました。

メニューの開発では、ボリビア人の味覚に合うようにアレンジすることに大変な努力をしているそうです。日本の食材もなかなか手に入らないので、食材を自分で加工する努力も怠らず、今では日本酒も自作して販売しています。早くも日本食が恋しくなっていたので、地球の裏側で食べた日本食は、私の旅の疲れを癒してくれました。

サンフアン移住地にて


サンフアン移住地に到着すると、前回の訪問と同じように地元農家の池田潤平さんが出迎えてくださいました。
まず向かったのは、サンフアン学園です。未開のジャングルであったこの地に移住した日本人が、すぐに創設したのがこの学校です。
今では、サンフアン移住地の住民の多数派となったボリビア人の生徒がこの学校の多数を占めていますが、それでも日系人の子供たちへの日本語や日本文化の継承に力を入れています。

このとき子どもたちは授業中のようで、昼間にもかかわらず校内は静かでした。本田由美先生と校長のDimelsa Jeannette Morales Mamani先生に、切手をお渡ししました。

サンフアン移住地の一時代を支えた養鶏


学校を後にして、前回の訪問で大変なお世話になった日比野正靭さんにご挨拶しました。

それから、鹿児島県ご出身の日系一世・野田利行さんを訪ねました。

ご自宅で、養鶏場の向かいにある出荷前の卵の倉庫を見せていただきました。

養鶏はサンフアン移住地でとても重要な産物です。サンフアン移住地では、1970年代から農場経営の安定化や多角化を目的に養鶏に力を入れ、機械化も進められてきました。その結果、養鶏は米や大豆に並ぶ重要な産品となりました。かつては、ボリビア全体の卵の需要を支えるほどの役割を果たした時代もあったといいます。

移住地では、割り当てられた土地ごとに環境や土壌が大きく異なるため、養鶏に救われる農家も多くあったそうです。整然とした倉庫の様子からは、遠い南米のこの地にも日本人の実直さが息づいていることが感じられました。

稲作を見に水田へ


今回は水田の田植えの様子を見たいと思っていました。
訪れた12月中旬は、すでに田植えの時期も終盤に入っていました。

もっとも、この地域では日本のように一斉に同じ時期に作業が進むわけではありません。サンフアン移住地は熱帯にあり、農地ごとに状態が異なります。すでに植え終わった水田もあれば、まだ作業中の水田もあります。

農家によって事情も大きく異なるそうです。同じような風景が広がっていても、分配された土地ごとに条件は違い、土の性質や肥沃さにも差があります。そうした違いが、農家ごとの格差につながった面もあると聞きました。土地が分配された当初は一面がジャングルで、その土地が何に向いているかは誰にも分からず、それぞれの農家が試行錯誤を重ねてきたのです。

わずかな距離の違いで降水量が異なることもあるそうです。それは、西にあるアンデス山脈のアンボロ国立公園から流れてくる「雲の道」の下にあるかどうかが大きく影響しています。そしてその雲の道も、気候変動によって年々変化しています。自然に翻弄されることは、世界中の農家に共通する悩みなのだと思いました。

池田さんの農場は、地平線まで続くように見える広大な土地にあります。移住地の中には、さらに大きな農地を持つ農家もあると聞いて驚きました。

まずは田植えをしたばかりの水田に連れて行ってくださいました。
最初に訪れら区画では、耕運機で水田を耕している最中でした。乾季のあいだ乾いていた農地に水を溜めて、泥状の田を耕して田植えしやすい状態に整えているのです。苗が均一に育つように水深を揃えて、雑草を取り除く意味もあります。

続いて、苗を育てているビニールハウスに案内していただきました。瑞々しい緑の苗がびっしりと育っています。近日中に田植えを待つ水田で植えられる予定でした。

また車で移動し、今度は稲刈りの最中の稲田へ向かいました。そこでは黄金色に稲穂が垂れていて、収穫の真っ最中でした。巨大なコンバインで稲を刈り取り、脱穀した籾を並走する運搬車に流し込んでいました。広大な稲田での豪快な収穫は、きっと多くの苦労が報われる瞬間なのではないかと思いました。日が暮れかけていましたが、薄暗くなるまで収穫作業が続いていました。

一つの農場の中で、同じ時期に水田を耕し、稲を植え、さらに収穫する作業までを同時に見ることができました。広い農地で順番に作付けをしていくため、稲田ごとの条件を見ながら作業時期をずらしているのです。稲の最初の作付けは10月頃とのことなので、このとき収穫していたのは早い時期に植えられた稲だったのでしょう。

ガソリン不足という社会問題

現在のボリビアでは、ガソリン不足が深刻な問題になっています。このときの2024年12月もまた深刻な社会問題となっていました。ガソリンスタンドには長い行列ができ、丸一日並んでも燃料を手に入れられないことがあるといいます。農業にとって燃料は不可欠の死活問題です。
池田さんもガソリン不足には頭を痛めていて、今の収穫期にもガソリンが手に入らず、機械を動かせないまま収穫のタイミングを逃すのを恐れているそうです。実際に、目の前で実った作物を前にしながらも、燃料不足のため収穫できず、涙を流す農家の姿を見たこともあると話してくださいました。

心温まる日本食

その日の夜は池田さんのご自宅にお邪魔して、日本式の夕食をご馳走になりました。遠く離れた南米の地でありながら、食卓にはどこか日本の家庭の雰囲気があります。食後にはお風呂もご用意いただき、旅の疲れを癒すことができました。

翌朝の朝食もまた、食材はすべてサンフアン移住地産でした。ご飯、豆腐の味噌汁、納豆、生卵という、豊かな日本の朝食でした。

前回の訪問は6月の乾季でしたが、今回は雨季に入ったばかりです。景色は一面の緑に覆われているため、多くの虫も発生する季節です。デング熱を媒介する蚊が多くいるため、池田さんの家では子供を罹患から守るために、家の周囲全体に殺虫剤を広く散布するそうです。巨大な噴霧器で自宅の敷地を覆うように薬剤を撒く様子は、日本ではあまり見かけない光景です。

仁田原病院へ


すぐ近くの仁田原病院を訪ねました。日系一世である仁田原健憲二さんは、両親に連れられて子供の頃にこの地に入植された方です。

幼い頃から勉強が得意で、10代の頃に医師を志したそうです。サンフアン移住地で開業されていますが、その名声はボリビア中に知られています。地域医療を支える大切な存在であり、病院は朝から多くの患者さんであふれていました。

CAISY(サンフアン農牧総合協同組合)


次に向かったのは、CAISY(サンフアン農牧総合協同組合)です。多くの農家が加入する団体で、収穫した米はここで精米されて出荷されます。精米場の様子や、出荷を待つ米袋の山を見せていただきました。

精米後の米は品質や用途に応じて、日本米を中心に約7等級に分けて販売店に卸されているそうです。高級な米には「寿司専用」というラベルもありました。そうした仕分けによって、サンフアン移住地の米を一つのブランドとして打ち出しているのです。

近年では、サイロの脇に積まれたもみ殻も活用されているそうです。もみ殻はバイオ炭に加工され、農地の肥料として使われることで土壌に炭素が貯留されます。その炭素固定の価値を、アメリカの企業が炭素クレジットとして買い取っていると聞きました。

このブランド化した米の品種改良を担っているのが、CAICYが経営する農業試験場です。ここでは稲作をはじめ、各種農作物の品種改良や栽培効率化が研究されています。広く平らに見える土地でも、地域ごとの特性が栽培に大きく影響するため、この土地で研究を行うことが重要なのだそうです。

農業試験場の水田に行くと、すでに作付けされた田では稲穂がたわわに実っていました。

一方、田植えの最中の水田では、日本のメーカーであるヤンマーの田植機が使われていました。水田の風景は、整然と並ぶ水田、農業機械、そして稲を育てる人々の姿など、日本の農村とほとんど同じです。

しかし、田畑の境界には背の高い熱帯雨林の樹木が残り、その名残が色濃く残っています。ときおり強い雨が降り、地面からは熱帯の匂いが立ち上ります。そうすると、ここがアマゾンの僻遠にあることをあらためて実感しました。

遠い異国の地に渡り、農業を続けてきた日本人の暮らしは、この大陸の多様な一面を物語っています。写真を撮りながら移住地を歩いていると、日本と南米という二つの場所が、静かにつながっているように感じられました。

最後に、町なかにあるラーメン屋で塩ラーメンを食べて、一休憩です。

そして、池田さんに別れを告げて、オキナワ移住地へ向かいました。
(つづく)

「ボリビア日本人移住地」関連記事集

松井章写真展「ボリビア-オリエンテ地方と日本人移住地」

ボリビア日本人移住地訪問記(1)オキナワ移住地とサンファン移住地

ボリビア日本人移住地訪問記(2)サンタクルスからサンファン移住地へ

ボリビア日本人移住地訪問記(3)サンファン移住地にて

ボリビア日本人移住地訪問記(4)オキナワ移住地にて①

ボリビア日本人移住地訪問記(5)オキナワ移住地にて②

ボリビア日本人移住地訪問記(6)サンフアン移住地の再訪

ボリビア日系移民:オキナワ移住地の歩み

ボリビア日系移民:サンフアン移住地の歩み

南米における日系移民の歴史

戦後・南米移住:敗戦から新天地までの道のり

日本ボリビア協会会報に掲載「日本人移住地訪問記(1)」

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「日本・ボリビア友好切手」関連記事集

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