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チチカカ湖・インカ発祥の聖地“太陽の島”

インカ帝国の聖地“太陽の島”

インカ帝国の聖地“太陽の島”と“月の島”は、標高3800mのチチカカ湖に浮かぶ小さな島です。琵琶湖の約12倍の面積のチチカカ湖において、この2つの小島がなぜか巨大なインカ帝国の発祥の聖地として崇められていました。

インカ帝国の都クスコは、“太陽の島”から西へ約500キロほどのアンデス山脈の山中に位置します。クスコ周辺にはマチュピチュを始め、避寒地のウルバンバ谷など、インカ帝国の中枢があるわけですが、そのクスコから見れば、チチカカ湖ははるか東にあるのです。

インカ帝国の人々は「太陽神」を崇めるので、太陽が昇る方角にあるチチカカ湖の島を聖地としたと言われますが、インカ帝国の形成の歴史を振り返ると地政学上の背景も垣間見えてきます。

ケチュア族とアイマラ族の統合による大帝国の形成


クスコを中心にインカ帝国が勃興したとき、インカ帝国を形成するのは主にケチュア族の人々でした。ケチュア族の人々は簡単に言えばチチカカ湖より以西の“アンデス山脈”に住んでいます。
そして、チチカカ湖より東側の“アンデス高原(アルティプラーノ)”に住む人々がアイマラ族の人々です。アンデス高原(アルティプラーノ)とは、標高3800~4800mくらいに広がる乾燥した高原です。このアイマラ族の人々と統合することで、インカ帝国はアルティプラーノを版図に組み込み、大帝国に拡大しました。

▲太陽の島から望む「月の島」

ケチュア族とアイマラ族の生活圏の境目にあるチチカカ湖の太陽の島に聖地を定めたのは、ケチュア族とアイアマラ族の統合の象徴としたと考えることもできるのです。
このケチュア族とアイマラ族の統合を機に、南米大陸に覇を唱える大帝国へと前進することになったのです。

古代から続く“太陽の島”の歴史


インカ文明の歴史は意外に短く12~15世紀頃に隆盛しました。インカ文明以前を「プレ・インカ」と呼びますが、太陽の島もまた、インカ帝国よりはるか昔、プレ・インカ時代から人々が暮らしていました。その歴史は約2000年前に遡ると言われます。

太陽の島に残る小さな神殿遺跡もまた、プレ・インカ時代の古代遺跡と考えられています。

アンデス山脈の古代文明といえば、まず“インカ”と考えるものですが、インカより以前の古代に文明はいくつも存在していたのです。インカ文明はその延長線で大陸に広く統一の文明圏を拡大したことが大きな功績と言えるでしょう。

太陽の島には、今も人々は昔ながらの民族衣装をまとい、素朴な農耕生活を続けています。電気は通るものの車道はなく、荷物は人力かロバで運びます。
島の斜面はくまなく石垣に区切られた段々畑(アンデネス)です。なんでもないこの石垣も、インカ時代、あるいはもっとはるか古代から受け継がれている、遺跡のような石垣です。島の人々にとって、遺跡とは単なる古代の遺物でも伝説でもなく、連綿と祖先から受け継がれた生活に根付く資産と言えるでしょう。

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