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風景写真家・松井章のブログ

イースター島の大祭タパティ

タパティ祭とは

モアイで有名なイースター島では、毎年2月にタパティ祭が開催されます。

2023年は、2月3日~11日に開催することが決定しました。

このお祭りは1970年代に始まります。

当時、チリに編入されたイースター島では、先住民は自信を失い、アイデンティティが揺らいでいました。
先住民としての誇りを取り戻すという目的で始められたのが、このお祭りです。

2週間に及ぶ祭りでは、ダンスや様々な競技が行われ、夜にはカーニバルも行われます。

カーニバルでは、人々は先住民の衣装を着て、ボディペインティングでポリネシアの模様を体に描き、町を練り歩きます。
アウトリガー・カヌーを神輿のように引きずり、人々は何かに取りつかれたかのようでした。

それは大げさに言えば古代の精霊が乗り移ったかのような鬼気迫るもので、夕闇に沈む街路で、人々の熱気と息遣いに、街は異様ともいえる雰囲気に包まれます。

薄闇から覗く子供たちの顔と、精霊の彫刻の顔が入り混じり、区別がつかないほどの混沌です。

このカーニバルは観光客に見せるためではなく、自らの文化を確認するために行っていることがよく分かりました。

祭りのメインイベントは最終日に広場で行われます。コンサートに始まり、夜中まで島中の人がここに集まっていました。

イースター島の簡単な歴史


もともとこの島に住み、モアイ文明を興したのはポリネシア系の人々です。彼らは独自の言語と文化を持ち、この島を「ラパ・ヌイ(=大きな島)」と呼んでいました。

ハワイ、ニュージーランド、そしてイースター島を結ぶ「ポリネシアン・トライアングル」という文化圏の最東端にあたり、人々の顔つきにもポリネシア的な雰囲気を感じるでしょう。

とはいえ、イースター島は他の島々からあまりにも離れています。8~10世紀前後に遥かな航海を経て辿り着いた人々は、隔絶された環境で独自の文明を築きました。

18世紀、最初にこの島を訪れたオランダ人は、その日が復活祭(イースター)の日であったために、イースター島と名付けます。
以降、イギリス人、そして南米チリなど、外国に介入される時代が続きます。

モアイで有名な古代文明は、ヨーロッパ人の登場に符合するように、18世紀頃に急激に衰退して姿を消してしまいます。
文明の崩壊の原因には、自然破壊、部族抗争、あるいはヨーロッパ人がもたらしたネズミによる環境破壊、あるいはヨーロッパ人による虐殺など、いくつかの説があるそうです。

山上から望むイースター島の景色


イースター島最高峰テレバカ(570m)は、円錐形の休火山です。
登山口から約2時間ほど草原を歩き山頂に辿り着くと、イースター島の絶景を望めます。

かつてこの島はヤシの木に覆われていたと考えられています。
山頂からはところどころに森を見ることができますが、それ以上に草原が多いことに気づくでしょう。
モアイ文明の時代に、人口が増えて森が伐採されたことは間違いなく、その延長線上に文明の崩壊があったのではと思います。

【動画】イースター島の絶景スポット:モアイ文明の謎

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