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日本からアンデス山脈へ向かう、遠い道のり

アルパカやリャマは、日本ではとても親しまれている動物ですが、
そのふるさとがどこにあり、どのような大地で、どのように生きているのかは、まだあまり知られていないように思います。
彼らの故郷は、南米のアンデス山脈です。
主な生息地は標高約3500m〜5000mの高原地帯で、寒冷で乾燥した気候に適応して生きています。
国でいえば、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、エクアドルにまたがっています。
私は1996年以来、何度もアンデス山脈へ通ってきましたが、
日本を発ってから現地の高原に立つまでの道のりは、毎回やはり遠いと感じます。
その遠さを越えた先に、日本では出会えない光景があり、本来のアルパカやリャマの姿があります。

今4月に開催する写真展「アルパカ ―アンデスの民と生きる―」では、ペルーとボリビアのアンデス高原で撮影してきた写真を展示します。
2010年頃から撮りためてきた作品の中から、アルパカを軸に、南米アンデス高原の地図を描くような感覚でセレクトしました。
同時に刊行する写真集では、アルパカが生きる風景や、人々の暮らしの場面も加えています。
アルパカという存在を、単なる動物としてではなく、土地と文化の中で立体的に捉えられるようにまとめた集大成です。
一言でいえば「アルパカ文化」の写真集です。
日本から南米大陸へ

日本からアルパカの故郷へ向かうには、まず太平洋を越え、飛行機を乗り継いで南米へ向かいます。
約17000kmの旅を経て、ようやく到着するのがペルーの首都リマです。
リマは赤道に近い場所にありますが、意外にも気温は低めです。
これは南極から北上するフンボルト海流の影響で、冬にはセーターが欲しくなるほど冷える日もあります。

▲ペルーの首都リマ
旅の目的地はさらに奥にあります。
アンデスの山々へ向かうには、そこから国内線や国際線を乗り継ぎ、各地の山域へ入っていく必要があります。
特にボリビアは遠く、リマからさらに国際線に乗り継いで、首都ラパスへ向かいます。そこから車でさらに長距離の移動が待っています。
地図で見れば一目でわかる距離ですが、実際に旅をすると、その遠さは単なる物理的な距離に加えて、風景の色、空気の匂い、気温や湿度の違い、そして文化まで、日本から遠く離れた南米という土地に来たことを全身で実感することになります。
アルパカとリャマが生きるアンデス山脈へ

さらに飛行機を乗り継ぎ、いよいよアンデス山脈の中へ入っていきます。
標高は、富士山の山頂を前後するほど高く、空気は薄く、気候は乾燥し、朝晩は厳しく冷え込みます。日本とはまったく異なる世界です。
着陸前、機窓から見下ろす風景は、一面が茶色や黄土色に染まっています。
その色彩を見るだけでも、アンデスへ来たことを強く感じます。

▲ボリビアの高原都市・ラパス
ペルーとボリビアの国境にあるチチカカ湖を中心に、半径およそ500kmほどの同心円状のアンデス山脈に、特に色濃く、アルパカと山岳民族の暮らしが残っています。
ボリビアでは主にアイマラの人々が、ペルーでは主にケチュアの人々が、アルパカやリャマとともに暮らしています。

アルパカやリャマは、単なる家畜というより、家族の一員に近い存在です。
人とともに生きてきた歴史は非常に古く、インカ文明よりもはるか以前、約6000年前にまでさかのぼるともいわれています。
今回の写真展と同時に刊行する写真集「アルパカ」では、ペルーとボリビアの各地で撮影したアルパカやリャマ、そして彼らとともに生きる人々の姿を追いました。

同じアンデス山脈であっても、場所が変われば、アルパカの特徴も、人々の暮らしも、山々の表情も異なります。
地図の上では近く見える場所でも、実際には長い移動時間を要する土地ばかりです。
しかも、観光用の牧場にいるアルパカではありません。
本来の暮らしの中にいる彼らを撮影するには、多くの縁と運、そして時間が必要でした。
アルパカ撮影地の主なポイント
今回の写真展、そして新刊の写真集で撮影した、アルパカの地域はこちらです。
ボリビア

レアル山群
幾多の古代文明が栄えたチチカカ湖の周辺には、古くからアルパカと人の暮らしがありました。首都ラパスの聖峰イリマニ、そしてコンドルが羽を広げたような姿で知られるコンドリリなど、名峰の麓に今もその営みが残っています。
サハマ山
ボリビア最高峰サハマの裾野に広がる草原地帯です。地平線まで続く風景は一見すると荒涼として見えますが、山がもたらす水資源によって、古くからアルパカの重要な産地となってきました。
ウユニ塩湖
巨大な白い塩の大地として知られる場所ですが、その周辺にもアルパカやリャマと人々の暮らしがあります。塩湖周辺に育つミネラル分を含んだ草は、彼らにとって大切な栄養源でもあります。
ペルー
ミスティ山
ボリビアから続く高原地帯は標高約4500mに達します。ペルー側では、輸出を意識した品種改良が積極的に進められ、白い毛のアルパカが多く見られます。
クスコ
インカの都クスコは、スペイン植民地時代の町並みと、インカの文化が今なお重なり合う場所です。谷あいの村々では、現在もアルパカやリャマとともにある暮らしが息づいています。
アウサンガテ山群
豊かな水を山麓にもたらすアウサンガテ山群は、今も聖なる山として深く敬われています。そこには、高地の厳しい自然と結びついた、人とアルパカの暮らしがあります。
マチュピチュ
アンデスの高地から標高を下げ、アマゾンの熱帯雨林との中間に位置する場所です。本来アルパカの生息地ではありませんが、古代からリャマは隊商の荷役として、アンデスの高原とアマゾン、そして海岸砂漠地帯を結んでいました。
過酷で美しい自然環境でのアルパカ撮影

アンデス山脈のアルパカの故郷にたどり着くには、時間がかかるだけではなく、
標高が高く、身体への負担も大きい土地です。
朝晩の冷え込みは厳しく、天候も変わりやすい。自然環境そのものが過酷です。
また、アルパカやリャマとともに生きる山岳民族の多くは、現地の言語を基盤にしながら、スペイン語をなんとか話す程度です。
最初から心を開いてもらえるわけでもなく、それなりの時間を一緒に過ごして、訪問を受け入れてもらうのが重要です。
ひとたび受け入れてもらえれば、その暮らしの奥深いところまで見せてくれる温かさがあります。

アルパカの撮影は、向き合えば向き合うほど難易度が高いものに感じます。
日本からの物理的な距離に加え、人々との信頼関係、高山や山歩きの経験、自然に対する備え、そのすべてが問われるからです。
アルパカやリャマ、彼らとともに生きる人々、そしてアンデスの風景が織りなす世界――私はそれを「アルパカ文化」と呼びようにしています。
その「アルパカ文化」の魅力は、遠い道のりを越えてでも出会う価値のあるものです。
なぜなら、アルパカは、アンデス山脈の文化と自然の中枢にある、とても大事な生き物だからです。



























