
目次
ボリビアの日本人移住地、そして日系社会を訪ねて

昨年の6月から始めたボリビアの日本人移住地の訪問は、今年で合計3回となりました。その間に、高原都市ラパスにある日系人の方々には合計2回お会いする機会がありました。
アマゾンの端にある日本人移住地(オキナワ移住地とサンファン移住地)は戦後移民であり、ラパスの日系社会は約100年の歴史のある日系社会です。
それまでも南米に長く通う中では、各地で日系人の方と仕事をする機会は頻繁にありました。しかし、考えてみれば日系社会という大きな存在に対して、正面から考えたことはありませんでした。なぜなら、ペルーやブラジルでは、数百万人に上る規模であるからです。
ボリビアにも日系社会があることを知っていましたが、戦後移民の2つの日本人移住地の存在を知ったのは2年ほど前のことです。歴史が比較的新しく、規模も小さいがゆえに、そこには日本社会の原型のようなものが色濃く残っているのではないか——そんな期待が私の好奇心を強く刺激しました。
ペルーやブラジルに比べるとボリビア日系人の人口は少なく、そのために日本ではほとんど存在を知られていないことに疑問を感じたこともあります。
わずかな資料を読み、関係する人々に会う機会もいただくなかで浮かび上がったのは、当時の日本の移民事業や社会情勢、そこには敗戦というものがありました。

ボリビアで日系人の人々に会うたびに思うのは、「日本人よりも日本人的だ」ということです。佇まいや考え方に、私は純粋な日本人像を見たのです。古き良き日本を彷彿とさせる人情や真面目さが根付いているように感じるからです。
そして、沖縄系の人々の中には「うちなんちゅ」という愛すべきアイデンティティもまた、そのまま残っているように感じます。
「われら新世界に参加す」という言葉は、民族学者・梅棹忠夫氏がブラジル移住70周年のシンポジウムに寄せて提言した言葉です。この名言は、海外移住資料館の基本理念ともなっています。私はこの言葉がとても好きです。
悲喜こもごもの移民の歴史にとっても、この言葉はその意義を代弁して、少なからず日系人の人々の拠り所や心意気になったのではと思います。
果敢にアマゾンの自然に挑み、自らの世界を創り出し、ボリビアの社会の一翼として活躍する日系人の社会に触れると、私は襟を正すような気持ちになります。
南米に広く拡散して根付いた日系人社会は、それぞれの国で根付き、彼らの安住の地となっています。
とはいえ、日本と南米の日系人の社会が相互に交流することもまた、どちらにとっても良いことではないかと常々思っています。特にボリビア日系社会は人口が少なく、日本の人々にもっと知ってもらいたいのです。

ボリビアの日系人の方々と向き合う時間のなかで、次第に一つの疑問が私の中で大きくなっていきました。
——これほど「日本的」な人々を、日本はどのように位置づけているのだろうか。
日本の側で見れば人口が減少するなかで、ニュースで日本への移民の話題は常に目にするようになりました。日本の移民受け入れの政策で、「日系人」の受け入れはどうか少し調べてみました。少し意外だったのですが、極めて『制度的(法治主義)』であるということでした。つまり優遇は無いということです。
南米にいると、各国でヨーロッパの移民の子孫に会う機会があります。彼らは祖父母の時代に移住していますが、今も自らの選択で祖国に戻る選択肢も残されているそうです。それは帰還政策ではないのですが、同胞として扱うという「証」ではないでしょうか。私の南米の友人の多くがヨーロッパにルーツの一つがありますが、割と気軽に南米とヨーロッパを往来しています。
「日系人」という血統や民族を考慮しない移民政策には、「日本人とは何か」という本質が少し脱落しているように感じます。それは文化人類学や哲学の先にある、政治学や法学、そして国家論に繋がるのでしょう。
翻って南米に暮らす日系社会の側で見れば、日系社会はこれからもダイナミックに動き続け、「新しい世界の旗手」として進化と発展を重ねていくに違いありません。その歩みを、日本に生きる一人として、私はこれからも見届けていきたいと思います。
































